つくねの箱の中

思ったことをつらつらと。

disjoint―『リズと青い鳥』感想

※前置き

今回の感想は、『響け!ユーフォニアム』系列の作品ではなく山田尚子監督作『リズと青い鳥』という前提を踏まえている。 この2つを同系統の作品として扱うとユーフォのバイアスがかかってしまい、この作品の内容を細かく見ることができないと考えたからだ。

観た人は分かる通り、冒頭1カット「disjoint」は、最終1カット「joint」に変わる。

disjoint、日本語だと「互いに素」。作中の授業シーンでもあったが、これは互いに共通の公約数を持たない数の関係性を言う。これは順当にみぞれ、希美の関係性のメタファーだと考えられる。2人は2人で1セットであるかのようだが、実際は違う。それをまざまざと見せつけられたのが今作だった。

特に印象に残ったシーンをあげると、まずは中盤のハグシーン。

希美の○○が好き、○○が好き....と挙げていくみぞれに対し、希美はみぞれのオーボエが好き の一つだけ。みぞれが好きなのは希美という人そのもの。フルートが好きとは言っていないのもその証拠。一方で希美が好きなのはみぞれのフルート。ここに両者の好きのズレが発生している。このシーン、東山さんの演技が抜群に上手くて寒気がした。

ここでキャストの話をすると、この作品で1番喋っていたのは希美役の東山さんで、彼女の会話の上っ面だけをなぞるような微妙にシステマチックな演技には言葉が出なかった。『BEATLESS』という作品で彼女は人間のようなアンドロイド役を演じているのだけど、希美にはアンドロイドのような人間ではないかという感想を抱いた。

次にフルートの光がみぞれに当たるシーン。ここは劇伴も含め切なさの極致ともいえるシーンだった。ほんの日常ではあるのだけど、みぞれにとってはその日常すら愛おしい。短くはあるけどみぞれの想いがすっと伝わってくるいいシーンだった思うし、なによりここの難しい芝居を当たり前のように描く京アニスタッフの職人芸も光っていた。

最後はやはりといってはなんだがみぞれ覚醒シーン。

みぞれが成長したシーンではあるけれど実際は希美が才能、将来、みぞれ、全てを受け入れた希美が涙するシーンというのが正解に近いのかなと。童話「リズと青い鳥」だとリズは青い鳥を空に解き放つ。自分という籠から出して自由を与えるために。それがベストなのはわかっていた。新山先生からは音大の推薦を打診されたわけでもなく(将来の否定)、みぞれが自分のフルートを評価してくれているわけでもなく(才能の否定)、でも自分のそばにいて欲しかった。自分の後ろを歩いてきて欲しかった。そんな望みは、覚醒したみぞれの演奏に全て壊される(みぞれの否定)。ここで全てを受け入れ、籠から出してあげることを決意した希美の涙には心を打たれた。

印象的だったシーンをあげるとこの3つになるのかな。

ここからは完全に憶測の話。「互いに素」な関係というのは冒頭に挙げた意味になるんだけど、これが絶対起こる条件というのがあって。数字同士が隣り合ってると絶対に起こるんだよね。つまり、「joint」=互いに素でない というのは2人が離れたということを意味しているのではないかと。互いに背を向け合って、でもそれはマイナスではなくプラスの方向に進んでいく。「disjoint」→「joint」の変化というのはそういうことじゃないかと思っています。

以上がざっと書いた『リズと青い鳥』の感想ということで。

常に2人の心情の機微を描きつつ、それを言葉ではなく絵そのものでフィルムに仕立て上げる。山田尚子監督はやっぱりすごいなって。(語彙力不足)そんなことに改めて気づかされた今作でした。2回目観たい~~